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ヨハネの日記 “天運到来”

「現代思想の混迷」という流れについて

~身体論からポスト構造主義への系譜をたどって


僕の中ではドイツ系の現代哲学、フッサール現象学からハイデガーで研究が止まっていた。そこから実存とその裏側にあるニヒリズムの問題をどう克服するかが課題となっていたが、そんな僕のフィールドに風穴を開けたのが「分析哲学」である。


この分析哲学に迫るのに、言語論的アプローチが必要であったため、功利主義的な英米哲学をたどり、そこであらためて「ウィトゲンシュタイン」の言説の独自性と言語世界の限界から哲学自体をえぐるという厳しい思想的格闘を通過した。


その一方で、メルロ=ポンティやベルクソンの心身論から欲望機械という概念を提唱したドゥルーズ・ガタリ、そして脱構築のデリダというフランスにおけるポスト構造主義により、現代社会は哲学の存在自体が解体されたといっていい混迷の時代へと幕が切って落とされた。


これらを簡単にまとめる。


中世におけるキリスト教的神権政治から、精神の独立を高々と掲げながら、一方で二元論が確立する延長上に科学主義が神に変わり人間の精神と身体が主観と客観という対立構造の中で完全に分離する状態に陥ってしまう。


そこから身体を基盤に哲学は本能性を主張して科学主義に対抗したが、「死」についての不安と直面し、そこを乗り越えようと思索を重ねたものの、結局、科学主義に立脚した生命政治へと流れついてしまう。


その枠組みを自ら当て込んだにもかかわらず、そこに管理監視される社会モデルの不自由さから逃れたい、

規制されたタブーを越えようとうごめいているのが現代人である。



とまぁ、こんな風に全体を捉えることができたわけである。



そこで、この混迷した中でなお、人と人とがつながって群がる向こうに何を見るのか?



ここらあたりが今後の勝負所になるなと、はっきり自覚した。




これからの人類の行くべきあらたな道筋を明確に示してみせる。


そんな風に実感した次第である。





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by taichiryu | 2017-09-14 23:51 | 哲学 | Trackback | Comments(0)

むずかしいことはやめにしました. 時々本音をつぶやき自分を晒します.

by 易者ヨハネ